視察を振り返って
 
会社業務研究会 代表 渡辺英幸




  1. 戦後の日本経済の変遷

     まず、日本経済の戦後(1945年)から今日までの変遷を確認しておきたい。 それは、なぜ、われわれが東アジアの国・タイを視察訪問したかの背景に係わることであるからだ。

    • 高度成長期(昭和34年頃〜昭和38年頃)

       昭和20年、太平洋戦争に敗れた日本は、挙国一致、産業界・政界・官界、そして国民が一体となって敗戦国日本の復興にあたってきた。そして朝鮮動乱の特需などに恵まれて、「もはや戦後ではない」(経済白書)と言うほどに、経済的回復をし、実質10%を超える高度経済成長をひた走りに走った。


    • 低成長期(昭和39年頃〜昭和54年頃)

       順調に推移してきた経済成長が、昭和49年の第一次オイルショック、そして昭和54年の第二次オイルショックによって、物価が高騰し、景気の悪化を招いたのである。石油資源を持たぬ日本は、全量輸入に頼りきっていたのである。バタバタとなりふりかまわず、オイル乞いを産油国にして回った。
       特に第一次オイルショックは、物価が一挙に3倍に跳ね上がった。生活必需品ですら資源不足のため生産・製造が限定されてしまったのである。
       しかし、先進諸外国が、経済不況の被害を受けたのに比して、日本は、官民一体となって対応し、景気の「ソフト・ランディング」に成功した。実質経済成長率が、7%くらいであった。



    • 安定・成熟成長期(昭和55年頃〜昭和61年頃)

       その後、無事景気回復をした後は、全国民中産階級意識が生まれるほど、貧富の差もなく、成熟した社会を迎えた。特別の超富裕層も、また貧乏のドン底にあえぐ層も少なく、所得が均質化された社会を迎えたわけだ。
       日本的経営は世界の注目を浴びるようになった。経済成長率は、3%ほどであったが、レベルとして高位 にあった。


    • バブル経済期(昭和62年頃〜平成2年頃)

       金あまり現象が発生した。NTTの民営化に伴い株式が公開され、一般の 人たちも株の取引に関心を持ちだした。余った金は、株へ、土地へと流れ込み、儲けた株で、土地を買い、土地の値上がりでまた儲け、株を購入す るという泡の経済が成立した。
       この間に、国際政治レベルの大変化が生じた。1989年11月のベルリンの壁の崩壊であり、東西冷戦構造の雪解けであった。ソ連邦・中国を意識して強固に成り立っていた日米間の協力は、政治的役割の軽減化に伴い、経済的協力関係の軽薄化を促したように、私には思える。
       EUは、アメリカと日本に対抗すべく政治・経済の統合化を試みていた。 アメリカは、日本の家電や事務機器、そして自動車のアメリカ進出に、空洞化現象をきたし、最構築を迫られていたのである。リ・エンジニアリングを中心として産業界の再生を国内と国外とも全ての仕組み改革で、すなわちグローバルに行うことで、アメリカの復活を図ったのである。
       それを可能にしたのが軍事技術としての通信技術の民生化であった。米ソの冷戦構造の氷解は、このアメリカ経済の蘇生をもたらしたのである。経済成長率は、この間5%ほどであった。


    • バブル崩壊不況期(平成3年〜現在に至る)

       日本は、今日までバブルの病を治癒しえていない。そこに、アメリカ・ EUは、中国を含むアジアの市場競争に突入した。
       1991年8月のソ連8月革命、1991年12月の実質ソ連邦の解体は、先に見たとおりである。そして、社会主義下の自由化政策をとってきた中国は、資本主義社会の格好の市場となってきた。EU・アメリカの先進諸国、そしてNIESの先端をきった韓国、台湾、東南アジアに根を張る華僑資本は、中国に進出していった。日本は、明治以来の脱亜入欧で、遅れをとったきらいがある。
       NIESに次いで、ASEAN諸国の台頭である。資本主義の基は、「差異にある」(東大教授岩井克人氏)。これを実証するかのように、東アジアが注目されだしたのである。(第二次世界大戦終結後、アジアの政治家が脚光を浴びたことがあった。インドのネール、インドネシアのスカルノ。それにエジプトのナセル、ユーゴスラビアのチトー、ガーナのエンクルマ等中立国が加わり、世界平和の道を拓こうとした。)
       1997年。アメリカのヘッジファンドはITを駆使してタイ・バーツを大混乱に陥し入れた。
       これを契機に東アジアは、金融に対して気を配るようになったのは、記憶に新しい。
       日本が国家経営において、様々な問題・課題を有していることは、もう述べる必要もないことだ。


  1. 日本の産業の行方

    (1)「モノづくり」は、ITを中心にハイテクノロジーとローテクノロジーに分かれる

     「モノづくり」の場合、私にはハイテクノロジーとローテクノロジーの二分化がもっと明確になるように思える。 そして、ハイテクノロジーに裏付けられた製品を組み立てるのに、これまたハイテクノロジーによる無人組み立てと、高度な技能を持ったローテクノロジーが必要とされる場合とがある。
     上記において、コストの面で国際競争に対応するには、先進諸国の高い人件費に依存していたのではむずかしい。それに見合った顧客の納得・満足がなければ成り立たない。そこで高賃金者は、高付加価値業務の職務を担務してもらい、それ以外の部分には、低コストを持って充てなければならないという考えになる。ここで賃金の低いタイ国が注目されるという訳だ。
     これは欧米の経営戦略である。人件費をコストと考える経営法だ。
     日本でもこの欧米流の経営戦略をとった企業がある。その企業(視察先ではない)は、日本の本社勤務である10%の日本人が、全人件費(アジア従業員を含める)の70%を占めているという。この方法で将来とも安定した経営ができるだろうか。
     どこの国においても、ヒトはコストではなく貴重な目的要素だと考えるべきだと思う。ヒトの為の、ヒトによる、ヒトの企業でありたいからだ。
     東アジアに出る前に、しっかと確立しておいかなければならないのが、経営方針であり、人事制度である。経営方針は、1.自社は、ハイテク一貫で事業経営をするのか。2.ローテク一貫で行くのか。3.ハイテク+ローテクでいくのか。これを明確にしなければならない。高度なローテクがそれで付加価値を得られるようにするのが、とりもなおさず「経営者の仕事」である。
     次いで、人事制度は、1.ハイテクには「修得」が必要であるし、2.ローテクには「習得」が必要である。それぞれの立場の人たちが、その役割に応じた賃金が得られる仕組みを確立する必要がある。
     この思考の中で、東アジア進出が考えられてくる。


    (2) サービス業におけるハイテクとローテクの在り方

     サービス業におけるITの果たす役割は、金融や通信等においては、多大な貢献をするであろう。しかし、ここにも高度なローテクと低度のローテクの使い途が出てくる。芸術的センス・あるいはマーケティングマインドを仕上げに求められるようであれば、当然ながら高度な技能・センスが求められる。技能を伴なわぬ 、たとえば「転記、記入、入力、出力、集計、連絡、片付け、揃え、準備、手配、運搬、仕分け」などであれば、(繰り返すが、特別に技能を要さぬ場合)、高度な技能を要する人たちや、またハイテクを有する人たちと同等に昇給していくことは、経営を圧迫するので、むずかしくなるだろう。ここに当然のことだが、ローテクでもメシが食えるように経営者が、彼らとともに考えなければならないところだ。
     それが終結したとして、低人件費国への進出ということになるだろうが、ここでも同様なことが発生する。また、人件費は年々上がることになる。
     ここで最も重要なことは、進出国で、その国のために、日本の企業がどんな貢献をするのかを明確にしなければならないことだ。K・Dグループのタン社長は「一般論として、現地の人たちの将来を考えることが成功のポイントだ」といっていたことは、当たり前のことではあるが、きわめて重要なことだ。特に日本の経営思想、即ち、「ヒトをコストと考えない思想」を大事にする日本人企業にとっては、重要なことである。


    (3) 中堅・中小企業の東アジア進出

     東アジア進出で成功するのは、大企業よりも中堅・中小企業の方が高いと私は思う。
     大企業は世界的経営戦略において、スクラップ・アンド・ビルドが頻繁に行われることになるだろう。
     中堅・中小企業は、当初は日本から進出した大企業との補完機能を果たすが、その大企業が撤退した場合、現地社会での貢献を考えて現地法人化し、現地企業育成あるいは技術指導などに貢献することで、収益を確保することが可能である。
     また、現地での日本企業(中堅・中小企業)と連携・連帯を深めて、経営思想を共にし、現地のための貢献をすることも可能となる。
     これができるのは、オーナー経営であるからだ。もっとも公開企業になっても、経営思想・理念が確固たるものであれば、そして収益構造さへ確立しておけば、現地企業として大いに貢献することが可能だ。


    (4) 結語

     2001年度「業研」第1回の海外視察研修―タイ国訪問は、参加者各自の課題は、各自が解答を出すとして、日本の産業の発達の流れの中で、私たちが今どこに立っているのかをつかむことは、各社の課題解決にも必要なことではないかと思っている。そして、「差異」がなくなればなくなるほど、日本の経営思想を基にした経営法そのものが、欧米との「差異」となり、地球規模に立っても、重要な役割を果たすと思う。
     私自身のこれからの勉強課題は、「21世紀の資本主義に替わる生活者主義」を見つめて、「経営法を構築する」ことだろうと思っている。生活者主義とは、人が生を活き活きとすごせる主義とでもいえる。
     末尾になりましたが、甲西高周波工業の近藤真琴さんはじめ、皆様方のご協力を心から感謝申し上げます。












 
 
タイ視察を振り返って(2001.1.31〜2.4)
 
事務局 松浦 なつひ




  1. 視察の目的

     21世紀の世界経済は、アジア・EU・アメリカの3大経済圏を中心に動くと予測されている。
     そのような状況の中、すでにタイで海外展開して8年目、また現在第2工場も完成間際の甲西高周波工業近藤真琴代表のタイ工場視察のご快諾は、誠にタイミングがよかった。
     かくて実現したタイ視察ツアー。アジアの1国としての「タイ」に進出した日本企業の、ヒト・モノ・カネ・情報に関する現状把握。そして、パートナー・従業員となるタイ国人の気風・暮らしを視察してきた。



  2. タイの現状

     1997年の経済危機の影響で、撤退した日本企業も多く、いまだ、タイの金融機関の抱える不良債権額は、貸出額の30%台。タイの車の生産能力は90万台以上あるが、現在は国内販売・輸出台数もあわせてその半分の46万台ほどである。失業率も、97年の0.9%から99年に5.6%にあがっている。これは建設業に集中している。建設業の雇用人数は、97年2月に約300万人だったのが、99年5月には150万人に減少していることからもわかる。
     しかし、この失業率を吸収したのは、農村部だった。これらの数値のほどにバンコックが混迷しなかったのは、失業しても農村部に戻れば米も三毛作のできる豊かな食生活なので、食っていける。そのためであるという。
     また、夜9時頃から出る屋台では日本にはないパワーを感じ、経済危機で建築途中で放り出されていた高層ビルにもクレーン車が動き始め、経済回復の明るい兆しも見えだしていた。



  3. 視察企業先

    1.タイトーケンサーモ(株)
    2.タイピジョン(株)
    3.甲西高周波工業
    4.そして和食料理店「日本亭」

     の4社である。


  1. タイトーケンサーモ(株)
     オーナー経営。進出理由は、自動車メーカーがタイに進出しはじめたのを契機に、進出。甲西高周波工業の機械設備の納入先。タイトーケンの納入先は、日系企業が100%。しかも半径100km圏内に立地。工場長の例えを借りれば、「洗濯屋さん」。集めた洗濯物を、甲西高周波の表面熱処理の機械設備できれいにして、また返す。 決算関係もタイの日本人会計士に依頼している。
     これからも自動車関連はタイを中心に生産されるとの予測から、将来を楽観視している。

  2. タイピジョン(株)
     日本からの派遣で社長が数年で交替。10年前、初代社長が、0から生産工場を立ち上げ、ピジョンの文化をつくった。
     2代目社長が拡大し、管理体制を整え、3代目の現社長は「収益をあげる企業」を使命として、次の社長にバトンタッチすることを考えている。現地と日本本社とのオペレーションは社長自らが行っている。
     進出理由は、日本の円高、日本の出生率が低下などの対策として、いまだ出生率が高く、また、ブランド名も定着しているタイ市場へと進出することになった。
     現在販売先はタイ国内29.9%、日本国内43.9%と、もしどちらかの収益が落ちたとしても、もう一方の国で稼げるようになっている。
     工場内では、QC活動がなされ、従業員自らが作った5Sのポスターは手書きで自分たちの顔写真をつかったりと、平気年齢27才の従業員の働きやすそうな社風を感じた。

  3. 甲西高周波工業
     納入先企業が、タイに進出するのに伴い、タイへ進出。当時のタイでは、熱処理加工の質・納期で満足のいくものができていなかった。
     代表の近藤氏自身が「技術」を握っている強みと信頼関係から、全面的にタイ人パートナーにマネジメントを一任。
     その下の女性副社長に優秀な人材を採用したため、その紹介でまた、その下に良い人材が入り、指示命令・賃金関係などすべて副社長のもと、トラブルなくうまくいっている。

  4. 日本亭
     進出理由は、たまたま社長と結婚したパートナーがタイ人であり、タイにきて、少し手伝ったお店がおもしろく、自分で出店。
     タイ従業員のマネジメント関係のトラブルは、パートナーに任せ、ナンバー2の日本人料理長に技術は任せている。
     不景気の波をもろにかぶったものの、経営モットーの「品格」をおとさないように奮闘している。調理師は、生き残るために、今やこのような高級和食料理店でも、ラーメン、スパゲッティも作っている。


  1. 事前勉強会と視察でわかったこと

     以上の視察先でわかったことは、事前学習会で学習したことの実証であった。


    • ヒトの使い方のむずかしさ
       ただ、これはタイに限らず、結婚した相手とて、同じ。バックグランド・国民性を理解した上で、コミュニケーションをとるということである。

    • 経営者・管理者の必要条件
       財務諸表が読めること

    • モノ
       自社で製造設備のできる、甲西高周波以外は、モノについては設備(食材)は、まだ日本から持ってくる。光熱費関係も高いので、安いのは人件費の分だけになる。

    • ビジネスチャンス
       日本では考えられない、ビジネスチャンスが転がっている。タイでは、日本人同士の交流から、中小企業と大企業の取引が成立したりと、日本でのビジネスルールが良い意味で崩れる。


  2. 感想

     今回のタイ訪問で、グローバル化した世界を実感できたとともに、「メディアを通して、日本から世界を視る一方」の自分から、「世界の中の日本」という今までとは逆の視点に立てた。
     この視察は日本企業が海外進出するときにそのまま応用できる、1ケースとしてとらえることができる。
     そして、 進出する立場としては、「短期間に効率よく収益を追求する」のが、進出目的であるが、その一方で、進出される現地の人々の将来―働く立場としてのタイの人々の将来、を考えずに経営はできないことを深く感じた。
     コミュニケーションの難しさは、どこででもぶつかる課題だろう。日本人同士で結婚していても時に意思の疎通が難しいのに、全くバックグランドの違うならなおさらだ。 「微笑みの国―タイ」の人々が相手の心を思いやる性格を持つ一方で、非常に合理的な思考を持つことも興味深かった。
     ただ、「現地に精通したキーパーソン」を置くことが、海外で事業展開していく上で、非常に大切なことだとわかった。
     また、家計については、タイは共働き世帯が多い。共働きでないと、一人平均日収500円・世帯平均月収36,000円(平均世帯人数3.7人)(1998年調査)ではやっていけない。学歴社会・階級社会のタイだが、バブルの時の車両の購入に富裕層・地方の有力者は別として、大方の中間層が、平均月3万円以上の48ヶ月ローンを組んでおり、その返済はかなりの負担になっている。
     経済危機で失業者を吸収した、農村部は、今や作物価格の下落と商品経済の流入で借金漬けになってきている。計画的な家計の運用が必要なのは、家計が超過債務状態の日本と同じだと思う。

     そして、この先、タイはどうなるのだろうか? IT産業で、毎年35%の人件費アップのインドと同じように、次にタイも人件費がアップしていくだろう。すると、企業はまた、他の国に生産拠点を移していくだろう。かくして「差」で成り立っていた世界経済は、どんどんグローバル化して、「差」の無い世界へとなっていくだろう。それは止めることのできない流れである。
     日本においても為替に関係なく、海外に生産拠点が移るというタイジェトロの米谷氏の話しであった。短期的には、労働力の豊富な中高年のパワーを活用するにしても、将来的的には、高齢社会を迎え、絶対的な労働力が不足する。それに対して今までと同じ生産力を保つためには、海外からの労働者を大きく受け入れるか、または労働力のある海外で生産するかしかない。
     地域による「特徴=差」がなくなったら、その製品を作っている企業は、「顔」で勝負することになるのではないか。 経営理念」「モットー」「技術」など「企業の顔」を明確に打ち出した企業の製品が、グローバル化した世界では残っていけるのではないだろうか。
     そのような中、自分の位置=「スタンス」もあちらこちらにおいて、色々な視点で物事が見られるようにならなければとも思った。

     最後に事務局として、タイ事情の認識不足から、詰めが甘く、様々な至らない点があったことをお詫び申し上げます。この視察は、超多忙の中、ありとあらゆるご相談をさせていただいた近藤さんはじめ、坂田淳一氏、ジェトロの米谷氏、そして気心の知れた業研メンバーの皆様のご協力のおかげで、無事、事件に巻き込まれることも無く帰国できましたことに、心から感謝申しあげます。







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